「小田実」さん。合掌。
もうお年だなとは思っていたが、残念です。若いときに全著作だったかな。著作集を入手して読んだんですが、二段組の上に字が小さすぎてそんなにつめこまなくてもと思って見にくかった記憶あります。若いときは新書レベルの雑多な文章も含めて多産な方でした。小説以外はなんかもう思いが先走る書きなぐりに近い文章です。大阪弁をそのままスクリプトしてあるのもおもしろかった。
30代後半の方は朝まで生テレビで、前半の方は震災のときに初めて知ったのではないでしょうか、年配の方は下記の訃報にあるとおりのことで有名な方です。あの下から上を探るような目線と首の傾け方は本当に印象的でした。私の知り合いには彼の生き方に対してパートナーのことで色々という方もおりますが、どうでもいいことのように思われます。合掌。
#まぁそれは小さい頃から頭のいい人だったそうです。
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<小田実さん死去>市民の視線貫く 国動かした行動力
7月30日12時2分配信 毎日新聞
世界の市民と手を取り、平和を求めた長い旅が終わった。30日、75歳で亡くなった作家の小田実さん。1961年のベストセラー「何でも見てやろう」「ベ平連」代表として率いたベトナム反戦運動、阪神大震災で被災者として訴えた市民立法……。「国籍や民族に縛られない、対等で自由な市民がつくる世界」の実現を目指し、「地べたをはう」生き方にこだわった小田さん。その死を悼む声が相次いだ。
原点は、敗戦と新しい憲法の体験だった。「大阪空襲の中を逃げ回って、いやおうなしに敗戦体験をした。そして憲法を持った。憲法は武器を捨てて丸腰になる覚悟をしていた。これは革命だよ」。当時14歳。憲法の思想を体に染み込ませた。
58年から2年間、欧米や中東、アジアを旅したベストセラーの旅行記「何でも見てやろう」を経て、「ベ平連」で反戦デモを率いた。80~94年、小田さんとともに「日本はこれでいいのか 市民連合」の代表世話人を務めた東京経済大名誉教授の色川大吉さんは「並はずれた行動力と人間的な魅力が多くの若者を引きつけ、東京の事務所はむせかえるような熱気に沸いたものだ。市民運動の歴史に大きな功績を残したかけがえのない人だった」と評価した。
自らも被災した95年の阪神大震災では、被災者の生活再建支援に公的資金の支給を求める市民団体「市民=議員立法実現推進本部」を結成。その運動は「被災者生活再建支援法」に結実した。同推進本部の代表だった小田さんのパートナーとして事務局長を務めた山村雅治さん(54)は「法律が残せたのは小田さんの実行力のおかげ。小田さんはよく左翼と思われたが、彼ほどの愛国者はいない。今後もう、だれも『小田実』にはなれない」と肩を落とした。
今年5月には、自ら胃がんであることを公表。病床でもインタビューに応じるなど、最後まで言論人としての活動を続けた。2度、見舞いに行ったという作家の瀬戸内寂聴さんは「私自身がしばらく体調を崩しており、そろそろ電話しようかと思っていた矢先でした。彼は社会的な活動が表立っていましたが、素晴らしい小説をいくつも残しており、文学者としても立派でした」と話した。
「あんな人はもういない」 小田さんの死悼む声広がる '07/7/30
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作家の小田実さんが胃がんのため三十日未明に亡くなり、その死を悼む声が、市民運動を闘った仲間や文化人の間に広がった。
「ベトナムに平和を! 市民連合」(ベ平連)などで半世紀以上、小田さんとともに活動してきた市民運動家の吉川勇一さん(76)は「反戦平和の言説だけでなく、運動そのものに飛び込んだ。いるだけで頼りになる人だった」。平和運動に日本の加害性を顧みる視点を持ち込んだこと、阪神大震災後の市民立法運動での活躍を功績として挙げ「あんな人はもういない」と惜しんだ。
哲学者の梅原猛さん(82)は「何でも見てやろう」を読んだとき「今までにないタイプのインテリが現れた」と強い印象を受けたという。「実際に会うと快男児で、大胆で八方破れなところが面白い男だった」
俳人の黒田杏子さん(68)は二月、小田さんの講演を聴いたことをきっかけに知り合ったばかり。五月に小田さんが東京の病院に入院してからは十回ほど通い最晩年の活動を見守った。「市民の立場、小さな人間という立場で運動し、書き続けた人。終戦直前の八月十四日に大阪で空襲を受けた体験が原点にあった。書きたい、伝えたいという強い意志を感じました。残念です」
30代後半の方は朝まで生テレビで、前半の方は震災のときに初めて知ったのではないでしょうか、年配の方は下記の訃報にあるとおりのことで有名な方です。あの下から上を探るような目線と首の傾け方は本当に印象的でした。私の知り合いには彼の生き方に対してパートナーのことで色々という方もおりますが、どうでもいいことのように思われます。合掌。
#まぁそれは小さい頃から頭のいい人だったそうです。
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<小田実さん死去>市民の視線貫く 国動かした行動力
7月30日12時2分配信 毎日新聞
世界の市民と手を取り、平和を求めた長い旅が終わった。30日、75歳で亡くなった作家の小田実さん。1961年のベストセラー「何でも見てやろう」「ベ平連」代表として率いたベトナム反戦運動、阪神大震災で被災者として訴えた市民立法……。「国籍や民族に縛られない、対等で自由な市民がつくる世界」の実現を目指し、「地べたをはう」生き方にこだわった小田さん。その死を悼む声が相次いだ。
原点は、敗戦と新しい憲法の体験だった。「大阪空襲の中を逃げ回って、いやおうなしに敗戦体験をした。そして憲法を持った。憲法は武器を捨てて丸腰になる覚悟をしていた。これは革命だよ」。当時14歳。憲法の思想を体に染み込ませた。
58年から2年間、欧米や中東、アジアを旅したベストセラーの旅行記「何でも見てやろう」を経て、「ベ平連」で反戦デモを率いた。80~94年、小田さんとともに「日本はこれでいいのか 市民連合」の代表世話人を務めた東京経済大名誉教授の色川大吉さんは「並はずれた行動力と人間的な魅力が多くの若者を引きつけ、東京の事務所はむせかえるような熱気に沸いたものだ。市民運動の歴史に大きな功績を残したかけがえのない人だった」と評価した。
自らも被災した95年の阪神大震災では、被災者の生活再建支援に公的資金の支給を求める市民団体「市民=議員立法実現推進本部」を結成。その運動は「被災者生活再建支援法」に結実した。同推進本部の代表だった小田さんのパートナーとして事務局長を務めた山村雅治さん(54)は「法律が残せたのは小田さんの実行力のおかげ。小田さんはよく左翼と思われたが、彼ほどの愛国者はいない。今後もう、だれも『小田実』にはなれない」と肩を落とした。
今年5月には、自ら胃がんであることを公表。病床でもインタビューに応じるなど、最後まで言論人としての活動を続けた。2度、見舞いに行ったという作家の瀬戸内寂聴さんは「私自身がしばらく体調を崩しており、そろそろ電話しようかと思っていた矢先でした。彼は社会的な活動が表立っていましたが、素晴らしい小説をいくつも残しており、文学者としても立派でした」と話した。
「あんな人はもういない」 小田さんの死悼む声広がる '07/7/30
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作家の小田実さんが胃がんのため三十日未明に亡くなり、その死を悼む声が、市民運動を闘った仲間や文化人の間に広がった。
「ベトナムに平和を! 市民連合」(ベ平連)などで半世紀以上、小田さんとともに活動してきた市民運動家の吉川勇一さん(76)は「反戦平和の言説だけでなく、運動そのものに飛び込んだ。いるだけで頼りになる人だった」。平和運動に日本の加害性を顧みる視点を持ち込んだこと、阪神大震災後の市民立法運動での活躍を功績として挙げ「あんな人はもういない」と惜しんだ。
哲学者の梅原猛さん(82)は「何でも見てやろう」を読んだとき「今までにないタイプのインテリが現れた」と強い印象を受けたという。「実際に会うと快男児で、大胆で八方破れなところが面白い男だった」
俳人の黒田杏子さん(68)は二月、小田さんの講演を聴いたことをきっかけに知り合ったばかり。五月に小田さんが東京の病院に入院してからは十回ほど通い最晩年の活動を見守った。「市民の立場、小さな人間という立場で運動し、書き続けた人。終戦直前の八月十四日に大阪で空襲を受けた体験が原点にあった。書きたい、伝えたいという強い意志を感じました。残念です」
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